ラジオを聞いていたら、高校の国語教育の関する文科省の方針を話題に取り上げていた。
 ある識者は今の高校生の読解力の低下を嘆いていた。彼らは、本を読まないし、読めない。例えば漱石、鴎外を読まない。
 考えてみると、当たり前かもしれない。大昔、私が若いころは、読書は勉強であると同時に、娯楽でもあった。テレビはない、あっても家に一台。ゲームもない時代だ。映画は映画館に行かないとみることができない。
 そこで、本を読んだ。本を買うお金がない時は、貸本屋で借りた。今は、貸本屋という商売はないだろうなあ。もっとも、私は鴎外や漱石を読まず、もっぱら推理小説の古典を借りて読んだ。
 中学生か高校生の時には、夏休みなどに、本を読んで感想文を書く宿題が出た。これが嫌だった。推理小説ではダメで、読書感想文を書くのにふさわしい本を選ばなければならない。それから、読後の感想を書くのも難しい・・・今なら、人工知能AI に頼むとすぐに書いてくれると思う。
 天の声「AIに書かせてはダメ」
 
 

投稿者

コラーゲン博士

85歳の老人ホーム入居者 若いころは大学でコラーゲンの研究を行っていた

国語力件のコメント

  1. うーん。考えてしまいました。
    博士が娯楽として推理小説を読んでおられたと言うのはとても興味深いです。

    今、生成AIの登場で間違いなく社会は変容過程にあると思うのですが、中学生向けあたりの生成AI のガイドブックを読むと、必ずと言っていいほどゲーム性と面白さについて言及しているように思います。自分なりにこの2つを見つけることが大切みたいです。

    多分頭のいい人はどんな時代でも、既成概念にとらわれず、状況を面白がれるんじゃないでしょうか。
    多分今は今までと異なる「読解力」が求められているのかもしれません。
    博士にとっての推理小説は、いまの生成AI だったかも。

    fj

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