この間ラジオのある番組で、「楽しい人」というテーマでメールを募集していた。そうしたら、寒い朝に、「サムイ、サミイ、サミー・デービス・ジュニア」といいながら、部屋に入ってくる人が「楽しい人」だという投稿があった。「これは楽しい」と、進行役の人が絶賛した。
 なーんだ、ダジャレではないか。
 いま、ダジャレとか、おやじギャグが流行っているのだろうか。私にはわからないが、むかし聞いたギャグをいろいろ思い出してみた。
 「結婚式はどこで?」「日枝神社で」「ひえー」
 「披露宴はどうだった?」「疲労した」
 「君は運送屋?」「うん、そうや」 
 「スキーは好きかい?」「ウイスキーの方がすきだ」
 なぜ、おやじギャグというのだろう。辞書を引くと、年配の男性の、時代感覚からはずれた、面白くない冗談と書いてある。老人はおやじよりさらに時代感覚からはずれてしまう。
 ダジャレ、おやじギャグをいうのは、けっこう、頭を使う。聞いて理解するのにも頭を使う。別に「ダジャレは文化だ」と胸を張る必要はないけれど、ボケ防止になるから、老人は時代感覚から大きくずれても、ダジャレをいいあえばいいと思う。そして笑おう。
 そこで、私、冒頭のダジャレのまねをしてみた。
  「お腹こわした、下痢、げり、ゲーリー・クーパー」  
  「あの二人の関係どうなるの? どうなる? ドナルド・トランプ」
  「掃除をしよう。道具が要る。はたきじゃなくて、ほうき、そう、ハクホウ」
 老人ホーム「ポムポム川の辺」の朝昼晩のアナウンスも、たまにはダジャレを入れたらどうかなあ。
 天の声「ダジャレが嫌いな人もいるのだ」

 


 天の声「自分の弁護しているな」