ヒーローの話といっても、仮面ライダーやスパイダーマンのようなヒーローではない。国民的英雄の話である。
 私がアメリカに留学してまもなく、当時の大統領ケネディーさんが暗殺された。1963年11月22日のことである。
 大きなショックを受けて、研究室中騒然となった。
 「彼はヒーローではない。単なる犠牲者だ。」
とあるアメリカ人が言った。いつもシニカルなことを言う人だ。
 それからヒーロー談議になった。
 そのとき、彼がアメリカの真のヒーローをだれといったのか、よく覚えていない。多分リンカーンとかジェファーソンとかだったと思う。
 インドから来た留学生は「インドのヒーローは、ガンジーとタゴールだ」といった。私はガンジーは知っていたけれど、教養がなくてタゴールは知らなかった。あとで調べると、ノーベル賞をもらった詩人で思想家だそうだ。
 当然、日本のヒーローは誰かときかれた。私は困ってしまった。明治天皇?坂本龍馬?力道山?
困っている私を見て、あるアメリカ人が言った。
 「ソニーの社長はヒーローではないのか?」
たしかに当時、SONYの文字は、町中で見かけた。あと日本の企業で目につくのはNIKON(彼らに言わせるとナイコン)ぐらい。トヨタの自動車など見たことがなかった。でもソニーの創業者は日本ではヒーローといえるかなあ。実業家のヒーローを探すなら、経営の神様、松下幸之助さんだなあ。
 結局、私は、万人が認める日本人のヒーローとしては、誰の名も上げることができなかった。
 いまならどうだろうか。やっぱり、見当たらない。
 でも、それが戦後の日本のすばらしい点だったのかもしれない。ヒーローなんていらなかった。
 なぜかって、北朝鮮を見てごらんなさい。国民に、ヒーローはときけば、アノヒトとみんな答えるだろう。答えざるをえないだろう。