いま東京は東京都といい、その中に23区がある。大昔、私が子供の頃は、東京府・東京市で、区は35あった。
 私が生まれたのは小石川区、いまの文京区だ。
 中学生の頃、中野区の江古田に引っ越した。西武線に江古田という駅があるが、あれは練馬区。ある人は、練馬区よりも中野区の方が都会的だと言って、「中野区」を強調していた。練馬といえば大根が有名で、そのイメージが強すぎて田舎っぽいそうだ。
 しばらく東京を離れて、50歳の頃また東京に戻った。その時は公務員宿舎に入れてもらったが、そこは世田谷区。目黒区との境界のあたりだった。宿舎の隣人は、目黒区の方が小学校の教育程度が高いと言って、子供を越境入学させていた。
 しかし、宿舎のすぐそばには世田谷公園があり、ちょっと電車に乗れば砧公園に行けるので、私は気にいっていた。 
 やがて、残念ながら、かみさんの実家のある埼玉県川越に引っ越してしまった。

投稿者

コラーゲン博士

85歳の老人ホーム入居者 若いころは大学でコラーゲンの研究を行っていた

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