オリンピックが今年、予定通りにやれるかどうか、世間では大騒ぎである。どうやら「出来ない」、「やめた方がよい」という意見の方が優勢らしい。
私もやめた方がよいと思っている。ただしコロナのせいではない。オリンピックが嫌いになったからだ。
今のオリンピックは、カネまみれで、一部の人だけがはしゃいでいるのが気に入らない。
もともとはオリンピックはアマチュアのスポーツ選手のためだったはずだ。お金をもらってはいけなかったのだ。それが、いまでは勝てばお金が入り、それが選手のモチベーションになっている。
大会は大きくなりすぎている。競技種目がめちゃくちゃ多い。私が全然知らない、軽業か曲芸のような競技がいくつもあるようだ。
大会の運営には、巨額の金が動き、巨額の税金が使われる。
しかし私は昔通りにやれといっているわけではない。昔に戻せるわけがない。ただ傍観しながら、「今のオリンピックはくだらない」とつぶやいているのだ。
世の中が変わってしまったのだ。
同じようなことがサイエンスの世界でもいえそうだ。私が勉強をはじめたころは、サイエンスの研究は知的好奇心を満足するためのものだと教えられた。つまりお金儲けとは関係がない。
それが、今では変わってしまった。研究を進めるのには多額の金が要る。一方、その成果は、利益を生むことが期待される。そして研究者は早く成果を出して、次の研究費を獲得しようする。当然はげしい競争がおきる。データの捏造のようなトラブルも起きる。
これでは、研究者は、ゆったりと楽しみながら研究をすることはできない。特に若い人は大変らしい。
しかし、昔のようなサイエンスに戻ることはもうないだろう。世の中が変わってしまったのだ。
老科学者はただ見ているだけである。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」ではなくて「老兵は死なず、ただ傍観するのみ」。