懐かしいものの一つに、西部劇がある。
大昔はテレビの西部劇に夢中になった。ローハイド、ララミー牧場、拳銃無宿、ガンスモーク、シャイアン、ライフルマン、バット・マスターソン、西部のパラディン、などなど今でもたくさん名前を憶えている。
もちろん映画も。駅馬車、荒野の決闘、黄色いリボン、シェーン、捜索者、誇り高き男、ヴェラクルス・・・・
それが、いつの間にか、西部劇はテレビから消えてしまったし、映画館の上映もほとんどなくなってしまった。新しい作品などは、たまに作られているだけらしい。
定年退職してヒマになってから、私は昔の西部劇のDVDを買い集めて楽しんだ。残念ながら、それらはみんな、老人ホームへの引っ越しの時、捨ててしまったけれど。
西部劇はなぜ人気がなくなってしまったのだろう。
アメリカが開拓されつくして、もはやフロンティアがなくなってしまったからかもしれない。
価値観の変化もあるだろう。昔の多くの西部劇の中では、先住民族は虫けらのように殺されてしまったが、今ではもちろんそんなことが許されるはずがない。
ヴェトナム戦争以来、アメリカ人の価値観が大いに変わって、単純に勇ましく相手をやっつけるようなストーリーは受け入れられなくなったらしい。
西部劇の大きな魅力は、出てくる男たちの”男らしさ”だった。まず強い。すごく強い。悪者には強いが、女性には優しい。女性は”弱い”から助ける。
そんな男は、いま流行らない。女性の方が強い。いや男性・女性と区別するのがいけないらしい。
しかし、昨今のトランプさんを見ていると、西部劇とオーバーラップするところがある。まず強い。戦う。いつまでも戦う。勇ましいことを言う。そしてそんなトランプさんを応援する人も大勢いる・・・・
日本はどうか。時代劇は今でもある。昔と変わらずテレビで放送されている。
そして、日本のエライ政治家の中には、誰とは言わないが、テレビドラマの悪代官そっくりの人がいる。