吉兆といっても、よいことの起こるしるしではない。関西の高級料亭の名前である。
大昔、私はニューヨークのコロンビア大学医学部に留学していた。ある日、同じく日本から留学していた先生が、夕ご飯を食べに行こうと誘ってくれた。その先生は関西の大学からきていた。
「ニューヨークに吉兆があるんだ」とその先生は言った。「へえ、吉兆?」「君は知らないのか。高級な料理屋だ。日本では高くて、我々ではとても入れない。でも、ニューヨークの店なら、そんなにボラれないと思う。大丈夫だろう。行ってみよう」
私たちは恐る恐る出かけた。もちろん、普段行く店よりはずっと高かったけれども、他の高級レストランと変わらない料金だった。何を食べたが忘れてしまったけれど、おいしかった。
日本に帰って、吉兆のことなど忘れていた。しかし事件が起きて、マスメディアに吉兆の名前が出た。吉兆のグループのお料理屋さんで不祥事が発覚したのだ。それもいくつも。たとえば、ある店では客の食べ残しの料理を使いまわししていたという。
会見が行われて、社長さんとその母親が現れた。社長さんが言葉に詰まった。そうしたら、お母さんが助け舟を出した。息子の耳元で返答の内容をいちいち指示した。それが全部マイクに拾われてしまった。あれは面白かった。
日本に帰ってきてから、もちろん吉兆の店に入ったことはない。東京にもあると思うけれど、どこにあるか知らない。
よいことの前兆の吉兆は、英語では ” a good omen” だ。「オーメン!?」 これ、料亭よりもラーメン屋の屋号にいいんじゃないかな。