海外のドラマや映画を見ていると、よくシェイクスピアの戯曲のセリフの一節を口ずさむ人が出てくる。哲学者の言葉の場合もあるし、詩の一節の場合もある。ちょっと気障だが、いかにも教養がありそうに見える。
では、日本人の場合、これにあたるのは何だろうかと考えた。百人一首の和歌かな。そうだ、百人一首は、日本人の教養をあらわすものかもしれない。
昔は、お正月に、一家集まって、百人一首のカルタ取りをやる家庭が多かった。私の家でも遊んだが、私は弱くて、母や兄弟に勝てなかった。歌をちゃんと覚えていないから勝てるわけがない。
そうだとすると、私の教養は、みじめなことになる。実は、私がよく覚えている百人一首は、たった2首しかない。
一つは「筑波峰の 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」である。 これは、子供の頃、みなのがわ(男女ノ川)という横綱がいたので、覚えた。男女ノ川が、筑波峰という相撲取りに負ける歌だと思っていた。ちなみに、男女ノ川は、同時代の双葉山には、負けてばかりだった。
もう一つは「ちはやふる かみよも聞かず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」である。
これは、落語で覚えた。落語では、竜田川というお相撲取りの、失恋の歌だというのだ。ちはやという女性、かみよという女性に、次々と振られてしまうという話。最後には井戸に飛び込んでしまうという、お笑いの一席である。
これでは、教養には、ほど遠いなあ。
天の声「そのようだ」