先日、菅首相が「コロナの制圧に、明かりがはっきり見えはじめた」といったので、メディアは「楽天的すぎる」と批判した。でも、菅さんの顔を見ていると、菅さんは楽天家には、とても見えない。うれしそうでも、誇らしげでもない。しかたなく嘘をついているように見える。
楽天家を辞書で引くと、楽天的な人、のんきな人と書いてある。反意語は厭世家だと書いてあるが、これは随分きついなあ。悲観家の方がいいと思うけれど、こんな言葉は辞書にはなかった。
楽天的か、悲観的かは、脳の中の、セロトニンやドーパミンなどのアミン化合物が関係するらしい。幸福遺伝子という遺伝子があって、この遺伝子を持っている人は、楽天的というか、いつも幸せそうに見えるという話を聞いたことがある。この遺伝子は、脳内アミンを代謝するモノアミンオキシダーゼという酵素に関係した遺伝子だそうだ。
しかし、人は、遺伝子と関係なく、楽天的にふるまわなければならないときがある。政治家もそうだし、お笑い芸人さんたちもそうだ。外では、陽気にふるまっていても、家に帰るとむっつりしている人が、たくさんいるらしい。
かみさんは、老人ホーム「ポムポム川の辺」に入居してから、悲観的になった。毎日、毎日「こんな家賃の高いところにいつまでもいられない」「お金が足りなくなったらどうしよう」と私にいう。
私は、生来は楽天家ではないのだけれれど、仕方なく楽天的に答えている。「大丈夫だろう」「何とかなるさ」
天の声「わたしは知らん」