8月15日の終戦記念日の前後には、戦争の体験が、多く語られる。ちょっと遅れてしまったが、私も自分の体験を書いておきたい。
もちろん、私の戦争体験は、戦場の話ではない。疎開である。疎開とは、空襲の被害を少なくするために、集中している人や建物を分散することである。つまり、東京にいては危険なので、人の少ない田舎に引っ越すことだ。
私は、10歳、小学校の4年生だった。東京が空襲で危険になって、学校は閉鎖され、疎開することになった。疎開には、二つのやり方があった。集団疎開と縁故疎開である。どこか個人的に疎開先を見つけるのが縁故疎開である。疎開先が見つけられないと、学校単位での集団疎開をすることになる。
私は、幸いにして、縁故疎開をすることができた。集団疎開が悲惨だった話は、後から聞いた。
私が疎開した先は、秩父の山の中だった。神社の社務所を借りて、暮らした。父と長兄は東京に残った。水道がないので、沢の水を飲んだ。
小学校はあったけれど、とても小さな学校で、先生が3人しかいない。それで、1年と2年、3年と4年、5年と6年の3クラスに分かれて授業があった。
食べ物もろくになかったが、楽しいこともあった。珍しい昆虫を、たくさんとることができた。清流があって、魚釣りをやった。釣れたのは、もっぱらアブラハヤだったけれど、とても楽しかった。
戦争が終わった日のことは、あまり記憶にない。放送を聞かなかったが、友達から戦争に負けことを知らされた。アメリカ兵がやってきて、みんな殺されるという子もいたが、パニックにはならなかった。
秋になって、東京に帰った。池袋駅に降りたら、一面、焼け野原だったのが印象に残っている。
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