「ポムポム川の辺」のある街を散歩していても、パチンコ屋は見当たらない。昔住んでいたところでは、駅前にパチンコ屋があって、朝、行列ができていたりした。今は、パチンコは少し人気がなくなってきたのかもしれない。
大昔の話だが、アメリカ留学の時お世話になった先生が、学会で日本に来た。「どこか、行きたいところがありますか」と尋ねると、「『PACHINKO』という看板をたくさん目にするが、あれは何か。入ってみたい」といわれた。そこで、パチンコ屋に入ってみたことがある。
そのころは、本当に町中にPACHINKOの看板を目にした。
PACHINKOを見て、アメリカ人はパチンコといった。ドイツ人はパヒンコと読んだ。フランス人はパシャンコと読んだ。
そんな笑い話を聞いたことがある。
私はパチンコに詳しくないのだが、昔のパチンコは、玉を一個ずつ、指ではじいていくモノだった。今はぜんぜん違うらしい。たくさんの球を連続的に打てるらしい。景品も、昔はチョコレートとかタバコとかだったが、今は、景品を別の場所で現金に換えられるという。
もしもそうなら、ギャンブルである。もしもそうなら、日本の町中で、ギャンブルができることになる。日本中、ラスベガスだ。
もしもそうなら、IRとか言って、カジノを日本につくろうとしているが、今更カジノは要らないのではないか。
でも、考えてみると、人生はギャンブルみたいなものだ。進学、就職、結婚、子育て・・・研究だってそうだ。全部ギャンブルだ。
天の声「そんなことを言ってはいけない」