大谷祥平さんが、アメリカのメジャーリーグで、大活躍をしている。彼は、投手でもすごいし、打者としてもすごい。それで二刀流と呼ばれている。
二刀流を辞書で引くと、左右の手に刀を一本ずつ持って戦う剣術の流派と書いてある。転じて、酒も甘いものも、両方好む人とある。大谷選手は、右手と左手にバットを持っているわけではないから、本当は二刀流とはちょっと違うようだ。「二足の草鞋」の方がいいのかもしれない。
二刀流で有名なのは、宮本武蔵である。宮本武蔵が有名になったのは、吉川英治の小説によるところが大きいそうだ。私も昔読んだ。武蔵は、努力を重ね、困難に打ち克って、ついに開眼する。日本人は、こういう人物が好きなのかもしれない。ライバルの佐々木小次郎は、真逆の、自由奔放な人物として登場する。
村上元三の小説「佐々木小次郎」では、小次郎が主役だ。小次郎は、美男で、天才で、女性にもてる。しかし、最後は決闘で死ぬと読者は知っている。まさに悲劇のヒーローだ。ここでは、武蔵は、情け容赦なく人を切る人物として描かれている。
五味康祐の小説となると、またちがう。なんという題名の小説だったか忘れてしまったのだけれど、ここに出てくる宮本武蔵は、人間くさい。剣の奥義をきわめた武蔵が、大名に提言したり、希望を述べたりするが、聞き入れてもらえない。剣の達人も、大名、つまり政治の力には勝てない。
武蔵が、大名行列が通るのを、街道の脇に座って、頭を下げて見送るシーンがある。武蔵の胸中, 無念な思いが迫ってくる。
こっちの方が、本当の武蔵に近い気がする。そして、現代の政治家と専門家の関係と、重なってしまう。たとえば、コロナの問題で、政府と医療の専門家のことを思ってしまう。
あーぁ。