ラジオを聞いていたら、「夏が来れば思い出す・・・」という歌が放送されていた。「はるかな尾瀬、遠い空・・・」
私の夏の思い出は何だろうと考えた。そうしたら、1945年(昭和20年)の夏が頭に浮かんだ。太平洋戦争の戦況がわるくなって、敗戦間近だった。東京はB29の爆撃で焼け野原。子供は疎開した。疎開には集団疎開と縁故疎開があった。私は、父の縁故で、母や兄と一緒に埼玉県の秩父に疎開した。
山の中の神社の社務所を借りて住んだ。水道はなく、近くの川の水を飲んだ。学校は、小さな分校で、先生は3人しかいない。私は、3,4年生合同のクラスに入った。
すごく不自由だったが、結構楽しい思い出がある。川で魚釣りをして、釣った魚を食べた。学校には、やはり東京から疎開してきた子が数人いて、その中に、色白でかわいい女の子がいた。顔を今でも思い浮かべることができる。でも名前を忘れてしまった。