私の昔の同僚のHさんは、生まれた年をきかれると、こう答えた。「1945年。吉永小百合さんが生まれた年と同じです」
 かみさんは、生まれた年をきかれると、「1940年。相撲の大鵬さん、野球の王貞治さんと同じです」 そして付け加える。「男に生まれたら、大物になれる年だったのよ」
 私が生まれたのは1935年。同じ年に生まれた人を、丁寧に探したことはないが、わかっているのは、大江健三郎さん、エルビス・プレスリー、アラン・ドロンである。
 1935年がどんな年だったか、もちろん覚えてはいない。おぼえているのは幼稚園に行っていた頃からで、太平洋戦争がはじまった。最初は日本軍は調子が良くて、シンガポール陥落とかで、ちょうちん行列があったのを覚えている。
 「太郎よ、お前はよい子供。お前が大きくなるころは、日本も大きくなっている・・・」というような歌があった。侵略戦争の歌だが、みんな調子に乗っていた。
 やがて、日本軍は旗色が悪くなり、東京もアメリカのB29の爆撃を受けるようになった。私は疎開。そして終戦。
 悪夢のような戦後の混乱期になった。発疹チフスの流行で、シラミ退治にと、頭からDDTをぶっかけられた。DDTは、残留毒性が高く、今では禁止されている薬物である。
 やがて、日本は国力を復活し、経済の高度成長期に入る。そして、バブル経済。ジャパン・アズ・ナンバーワンとかいって、人はまた、浮かれ出した。
 しかし、バブルははじけて、不景気の時代になった。これが長く続いている。
 日本の国力はガタ落ち。一人当たりの国民の所得も、諸外国に抜かれて下位になる。コロナ禍でも明らかなように、日本は、政治も経済もガタガタである。  
 振り返ると、日本という国は、調子が上向いたり、下降したりを繰り返している。私が生きているうちに、もう一度、上昇するだろうか。無理だな。
 


投稿者

コラーゲン博士

85歳の老人ホーム入居者 若いころは大学でコラーゲンの研究を行っていた

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