老化の架橋説をはじめて提唱したのは、北欧の化学者、ビョルクステン博士で、ずいぶん昔のことである。その説が、どういうわけか、40年ぐらい前に、日本の新聞や週刊誌に大きく紹介され、私はその説を知った。
 ビョルクステン博士は、細胞の中のいろいろなタンパク質の間に化学反応が起きて、時間と共にだんだん架橋ができると考えた。架橋ができると、それぞれのタンパク質の分子の働きを損なわれ、細胞の機能が落ち、老化がおこると考えられる。
 もしも、架橋を切断する酵素を見つければ、人間は800歳まで生きられると博士はいい、それが新聞や週刊誌に報じられた。ある週刊誌は、寿命が800年になると、55歳定年後、長く年金暮らしになるとか、無期懲役の人は大変だとか、面白おかしく報道していた。
 しかし、実際に細胞の中で架橋ができているのか、できるとすれば、どんな構造の架橋なのかなどについて、実験的証拠が得られなかった。その後、架橋の形成は、細胞の中というより、細胞の外にあるタンパク質、コラーゲンで起こっていることがわかり、老化の架橋説は別の形で発展していった。
 1984年に、私は「老化はなぜおこるか」という本を書いたが、その中で、ビョルクステン博士のことを紹介しようと思った。博士の写真を載せたいと思い、写真をくださいと手紙を書いた。博士は大変喜んで、すぐに写真をくださった。それから、しばらくして、博士は日本に来られて、私はお会いすることができた。
 大変、おだやかな紳士であった。あんなに週刊誌などで紹介された”有名人”なのに、遠く離れた異国の小さな書物の中で、紹介されたことが、よほどうれしかったらしい。晩ごはんをごちそうしてくれた。
 

投稿者

コラーゲン博士

85歳の老人ホーム入居者 若いころは大学でコラーゲンの研究を行っていた

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です