私が生れた時、父は東京教育大学(現在の筑波大学)の地質学教室の教員だった。当然のことのように(?)、私は、(兄弟たちももそうだったが)、筑波大学の付属の小学校に入り、中学、高校と進んだ。今は付属小学校は人気があり、入学するのが大変なようだが、当時は、教職員の子弟は、簡単に入れたようだ。入学試験などなかった。
付属校の先生の殆どは、東京教育大学の出身者だった。理科の先生たちは、みんな父のことを知っていた。中には直弟子の人もいた。
それゆえ、付属校での私の立ち位置は、「○○先生の息子」であった。