先日、NHK・FMラジオをつけたら、現代音楽の番組だった。2010年代に作曲されたシンフォニーが演奏されている。ちょっと耳障りなキューというような音が入ったり、放送事故かと思うような沈黙の時間があったりする。
いわゆる「現代音楽」は、なんだか私たちの生活から乖離しているように見える。私たちが日常楽しんで聴いているのは、クラシック音楽が多い。ベートーベンやモーッアルトの音楽を聴き、気持ちがなごんだり、元気をもらったりしている。
しかし、モーッアルトが生きていた時代には、モーッアルトの音楽は現代音楽だった。ベートーベンの時代には、ベートーベンの音楽が現代音楽だったはずだ。そのころの人はどんな気持ちで聴いていたのだろう。
一方、文学を考えてみると、私たちが日常読んでいるのは、東野圭吾や村上春樹らの現代の小説だ。夏目漱石や森鴎外の小説も、文庫本で読めるし、教科書に載っていたりするけれど、文体や言葉が今と違っていて、理解し難い。それよりもっと古い作品になると、さらに難解だ。
クラシック音楽とは、ずいぶん事情が異なる。これって、なぜだろう。何故、クラシック音楽は、心地よく耳に入っていくのだろう?
天の声「そんなことに悩まずに楽しみなさい」