うちの息子は、生まれたときは左利きだった。左ぎっちょでもかまわない、そのままにしておこうと思った。しかし、幼稚園の先生が「右利きになおしなさい」といった。「あとで苦労するから、幼いうちに直しなさい」
 しかたなく、字は右手で書くようにした。少し大きくなって、野球をやり始めると、左投右打でやりだした。私は「これじゃプロ野球に入れない」といって、左投左打にさせた。間違っても、プロ野球選手になれるわけはないけれど。
 いまは、息子はゴルフが大好きだ。多分、左で打っていると思う。
 いまのことは知らないが、昔の日本では、左利きを、右利きになおさせることが多かった。アメリカに留学したら、左ききが多いのに、びっくりした。中には、両手がきく人もいて、文を書くときに、はじめは左手で書き、紙の半分から、右手に変える人もいた。便利なものだ。
 大昔、卒業実験のために研究室に配属された。入ってみると、先輩でとてもブキッチョな人がいた。左利きかと思ったら、まわりに人達は「あの人は左利きではない、右利かずなんだよ」と悪口を言った。
 でも、とても優れた科学者で、よい研究をした。科学研究に、ぶきっちょなことは、別に欠点にはならないらしい。ほかにも、手先はぶきっちょだが、えらい先生がたくさんいる。
 もちろん、器用でないと困る場合もある。手術をしてもらう外科医の先生が、ブキッチョだと心配だ。一方では、まわりから、「神の手」とよばれる、優れた外科の先生がいる。きっと、すごく器用なのだろう。もちろん、それだけではないと思うけれど。
 推理小説や推理ドラマでは、犯人が左利きの場合がよくある。傷跡などから探偵が、利き腕が右か左かを推理して、それが決め手になる。左利きの人は少ないから、すぐに見つかってしまう。損だ。
 ちなみに、酒好きのひとを左利きという。なぜなんだろう?