オリンピックが終わったら、今度はパラリンピックである。パラリンピックのパラには、paraplegia(下半身まひ)と parallel(もうひとつの)という、ふたつの意味が込められているそうである。身体障碍者の健康促進と、理解や関心を高めるのが目的とのことだ。
私の住んでいる「ポムポム川の辺」の入居者たちも、程度はいろいろだが、体になにか障害をもっているいる人が多い。
「ポムポム川の辺」の2階には、個人用の浴室が4部屋ある。同じようにつくられているが、ちょっと違う。つまり、浴槽が、浴室の右側にある部屋と左側にある部屋がある。
あるおじいさんが私に言った。「右側に浴槽がある浴室しかはいりたくない。片足の具合が悪いからね。右側の浴槽に入る方が楽なんだよ」
その浴室がふさがっているときは、空くまで待っているという。
ふつうの人にとっては、どっちでもいいと思うことでも、体が不自由な人にとっては、問題なのだ。だから、気配りが必要になる。
足のもっと不自由な人もいる。廊下を歩くときに手すりにつかまって歩いている。手すりが、ずっと切れ目なしについていればいいけれど、部屋のドアところで途切れてしまう。そうすると、次の手すりまで、大変である。
部屋を廊下の片側にだけ作っておけば、手すりに切れ目は無くなる。でも、そうすると部屋数が少なくなるから、経営的にはまずいだろう。
食事の時間になると、部屋にアナウンスが流れる。それがとても大きな声なのだ。私は、耳を塞いでしまう。あの大きな声は、耳の遠い人への気配りかな。
天の声「マイクの調節がうまくないだけだろ」