ドラマ「ブラウン神父」を見ている。原作はG.K.チェスタートンのミステリー小説である。大昔、江戸川乱歩さんが、「ブラウン神父」は「シャーロック・ホームズ」と並ぶ名作だと激賞したので、私も読んだ記憶がある。
ドラマのブラウン神父は、原作のイメージとはちょっと違う。原作の神父さんは小柄で、ひょうひょうとしていたけれど、ドラマの神父さんは大きく、太っていて、動きものそのそしている。おまけにライバルで、親友でもある怪盗フランボーも、原作のイメージと違う。これは気に入らない。
先日見た作品には、カルト宗教が出てきた。
カルトは信者たちを集めて、自給自足の集団生活を行い、「宇宙の祖先(?)」とやらを拝む。自分たちの「聖書」があって、そこに書かれていることは絶対に正しい。お祈りによって、病気は治るし悩みは解決する。
一方では、教祖は投資に失敗していて、お金が欲しい。お金が欲しいのは、どのカルトも同じかな。
そんなカルト集団の中で、殺人事件が起き、ブラウン神父が活躍する。
私が興味を持ったのは、ブラウン神父の「キリスト教の聖書でさえ、聖書の言葉を忠実に読みすぎてはいけない。誤ることがある」という言葉だ。
さすが、キリスト教の神父さんはカルトとは違う。キリスト教は成熟した宗教だなあと思った。
もっとも、この言葉が原作にあるかどうかは知らない。単にドラマ制作者がつくったセリフかもしれない。
天の声「宗教心のないあんたが聖書のことなど語るな」