ビギナーズラックとは、初心者が往々にして好成績を収めることだが、私の研究生活はまさにビギナーズラックではじまった。
今から60年以上も前のこと、私は大学の理学部化学科の4年生だった。4年生の後半は、卒業論文の実験を行うため、各研究室に配属される。私はあまりきちんとした理由もなく、生化学の研究室を選んだ。
生化学の研究室では、当時助手(今の助教)だった石本真さんの指導を受けた。石本さんは、硫酸還元菌という奇妙な細菌の研究をされていた。この菌は硫酸イオンを硫化水素に変え、その際に出るエネルギーを利用して生きている。
研究室でこの菌を培養するので、部屋中に卵の腐ったような硫化水素の臭いが立ち込めていた。
菌が硫酸イオンを還元して硫化水素を生成するしくみは複雑だった。生きている菌は、たしかに硫酸を硫化水素に還元できる。しかし菌をすりつぶしてしまうと、もはや硫酸を還元することができない。
なにか複雑なからくりがあるのだ。
石本さんは、まず硫酸イオンがある物質に変換され、それから還元されるのだと考えた。そこで、その物質の追及をはじめた。しかしなかなかうまくいかなかったらしい。そのとき私が研究室に入ってきたのだ。
石本さんは、”APS”とよばれる物質に目をつけ、これを合成して、硫酸還元菌のすりつぶした液で還元が起きるか見てみようと考えた。それが私の研究テーマになった。
とはいっても、もちろん私が一人でこんな実験をできるわけがない。私は実験のほんのお手伝いをやったというか、言われたとおりに実験をしただけだった。
しかし、それが大成功。硫酸還元菌の抽出液はAPSを見事に還元したのである。
石本さんは大喜び、早速論文を書いた。私の名前も載せてくれた。
これはビギナーズラックとかしか言いようがない。おかげで、私はためらいもなく、研究者の道にはいり込んでしまったが、その後はこんなにうまく実験が成功したことはなかった。
石本さんには本当にお世話になった。まだまだ書きたいことがいっぱいある。