大昔、学生・院生の頃は、ウイスキーといえば、トリスだった。角瓶はぜいたく、オールド(だるま)には手が出ない。舶来のウイスキーなどは、雲の上の存在だった。
ある日、仲間の院生が、指導教授であるE先生の部屋の戸棚に、ジョニーウォーカーの黒ラベル、いわゆるジョニ黒があるのを見つけた。あれを飲んでみたい。そこで先生にお願いにいった。
先生は、とても鷹揚というか気前がいいというか、ジョニ黒を味わうことを名目に、一席設けてくれた。本郷の高級な料亭のお座敷でである。肝心のジョニ黒がどんな味だったかは、覚えていない。
日本ではめちゃくちゃ高かったスコッチウイスキーも、留学した時のアメリカでは安かった。いや、安く感じた。関税の違いか、為替レートのせいか、あるいはもらう給料のせいか、とにかく、アメリカでは、気楽に買って飲むことができた。
1960年代に終わりに、アメリカに2度目の留学をした。その時は、かみさんと一緒だった。期間はたった4か月で、場所はフィラデルフィアの総合病院だった。
ある日、かみさんに酒屋さんでウイスキーを買ってくるように頼んだ。しばらくすると、ニコニコして、手ぶらで帰ってきた。「子供には売れないですって」
通りの向かい側の家に、日本人の家族が住んでいるのを見つけた。Yさんという、外科医で、やはり留学に来ていた。特に根拠はないのだけれど、私は、外科医というと、威張っていて、無口で、つきあいにくいイメージを持っていた。でも、英語を自由に話せないストレスからか、留学先では、ひと懐っこく、おしゃべりで、やさしいかった。
Yさん一家とはすぐに仲良くなって、どちらかの家で、毎晩のように、ウイスキーを飲んだ。もっぱらホワイトホースを飲んだ。ホワイトホースを飲むと、今でもあの頃を思い出してしまう。
日本に帰って、しばらくしてから、Yさんに会った。そうしたら、外科医のイメージどおり、威厳に満ちた顔であらわれた。
Yさんは、しばらく前に亡くなってしまった。
ウイスキーの話を書いていたら、飲みたくなった。
天の声「テーマとは関係ない。いつもそうだろ」