私はよく夢を見る。それもいやな夢ばかりだ。いい夢を見たことはほとんどない。南の島で美女にかこまれているとか、宝くじにあたったとか、そんな夢は見たことがない。
このあいだは認知症になった夢を見た。頭の中は、カスミがかかったようで、何もかもぼんやりしていた。何にも考えられない状態である。きっと、認知症になってしまったのだと思った。
とてもよく見る夢は、家に帰りつけない夢である。行けども行けども、家にたどり着けない。電車に乗っていることもあるし、歩いていることもある。とにかく、家にたどり着けない。
むかしの職場、つまり大学でのトラブルの夢もよく見る。自分の研究室がなくなって、知らない人の研究室になっている夢を見たことがある。国際学会が近いのに発表の準備ができていない夢も見たことがある。講義の時間なのに、準備ができていない夢も見た。
トイレに行きたいのに、トイレが見つからないであせる夢は、何十回も見た。
しかし、ある日気がついた。いやな夢を見ると、目が覚めたときに、「ああ、夢でよかった」と思う。つまり、現実の世界の肯定につながる。それが、「いやな夢」の効用なのだと。
さいわい、私はまだ認知症にはなっていないようだ。いまは、職場に出かけて働く必要もない。学会発表もしなくてよい。講義もしなくていい。外に出かける必要もない。おむつの必要も、いまのところない。
現実は、夢よりいい状態だ。「ああ、夢でよかった」といえるは、いまが幸せだからだろう。いやな夢をいっぱい見て、現実の幸せをかみしめよう。
天の声「たまには、いいことをいうね」