私がコラーゲンの研究を始めたのは1961年。私が東京大学理学部生物化学の修士課程を修了して、東京医科歯科大学医学部の助手になった時である。何故、研究者としては未熟な私が助手に採用されたのか・・・
私が大学院修士課程2年の学生だったある日、1年先輩の大島泰郎さんがやってきて、「東京医科歯科大学の助手にならないか」と言った。
そのころ、東大の理学部化学教室の生化学講座は教授が欠員になっていて、生化学の講義などは、田宮助教授がされていた。一方では、名古屋大学教授の江上先生を東大にお呼びする話が進行していた。やがて江上先生の教授就任がきまり、ほぼ同時に、田宮助教授は東京医科歯科大学医学部付属の硬組織生理研究施設の生化学部門の教授に転出することになった。
田宮先生はそこで、新しい研究室のスタッフをそろえることになり、助教授には小沢均さん、助手の一人は八木達彦さんにきまった。
あと一人の助手の枠がある。大島泰郎さんに声をかけたが、大島さんは博士課程を終えたいので断った。大島さんはそれで責任を感じて、後輩の院生をスカウト始めた。
当時、江上研究室には、修士課程が終わる学生が3人いた。私の他は女性。全員、博士課程に行きたがっていたが、江上先生は、「一つの学年に3人は無理だなあ」とおっしゃった。そうすると、はじき飛ばされるのは、この私だ。男はつらいよ・・・そこに就職口があらわれて、とてもありがたかった。
ちなみに、その後他大学から博士課程に入りたい学生がやってきたら、江上先生は受け入れた。その人も女性だった。